140字のエチュード―VoL.5

 

 2014年5月19日1:21

 ASKAさんは私がこの世に生を受けてから憧れた最初の人だった。それだけに今回の事件は難しい。また、最近どこかの小学校でも校長が薬物で逮捕されたという報道を見た。その方も校歌を作曲されていたとのこと。単純に比較はできないが、少なくとも芸術と薬物の間には底知れぬ闇が潜んでいると思う。

 

 2014年5月20日3:23

 どうでもよかったはずのものがどうでもよくなくなってきて、たいせつにしなくちゃいけないはずのものがどうでもよくなってきてしまっているのがとても哀しくて、この哀しみに私はなんとか抗おうあらがおうとしてきたのだけど、そうすればそうするほどあなたのすがたがむねのうちにうかんでくるのです。

 

 2014年5月21日4:06

 遠隔メールの事件は結局、片山被告が真犯人だった。彼は自分のことを平気で嘘をつけるサイコパスだと弁護士に語ったそう。確かに悪質な犯罪であることに変わりはないが、その背景には、嘘をつかなくては生きていけないような張り詰めた雰囲気が被告の、いや、我々の日常に渦巻いているのかもしれない。

 

 2014年5月23日1:06

 とある作家さんがある日、突然ネットの世界から消えていた。その御方も無名ではあったが毎日何かしらの文章をお書きになっていて、私は偶然の縁から時おり彼のサイトを覗き見ては自らの励みにも変えていたのだが、消息の理由は分からない。別に直接お会いした訳ではないのであれだけど何となく寂しい。

 

 2014年5月24日21:22

 白いそら見あげる頬にあたる風ここちよい日曜日の昼さがり、隣の小学校では運動会がひらかれている模様。子どもたちの朗らかなさざめき、名も知らぬ唄の優しいメロディ、小鳥のさえずりにそうっと耳を傾ける。窓の外からてんとう虫が入ってきた部屋の中はとても静かだった。電車のとおり過ぎたあとも。

 

 2014年5月26日4:26

 ああ何を書こうとしていたのか、まるで忘れちゃったしかに手応えのあった、思いだったはずなのにね。全部ぜんぶ涼しい夜と一緒に消えてなくなってしまった。それは多分ぼくにとってとても、大切な感情に違いないとそう、自分で思っていたかったから伝えたかったのかもねぇ、あなたに。朝日が眩しいよう

 

 2014年5月27日3:00

 ねずみがチーズをかじっている。そんな光景を本当に現実のものとして見たことはないし、たぶん実際その様を目にすればグロテスクだとぞっとするに違いないけれど、だからこそ! そうした行為はアニメ化された可愛いキャラクターのしぐさとして偶像的に描かれることに価値がある、なんて夢がないなぁ。

 

 2014年5月28日3:06

 初夏の日射しが照りつけるなか彼は海辺で昼ごはんを食べていた。タワーの影に隠れて、のり弁当を食べていた。風は彼のさらさらとした髪のけを斜めへ靡かせていた。毛先と一緒に顔もこっちを向いてほしい。そう思ってしまったわたしは急に自分が恥ずかしくなった。風にもっと強く吹いてほしいと思った。

 

 2014年5月29日3:15

 たとえばあなたのカバンのポケットにミニチュアのテディベアが、まるい脚だけ突きだすような格好で詰めこまれていたとしたら、息苦しくてたまらないでしょう。どこかへ消えたいってそう思うでしょう?そのつぶらな瞳が捉えているのは、ポケットの底だけだと決めつけてない?ああ遠くへ行きたい遠くへ!

 

 2014年5月30日7:21

 こうして文字を書いている間だけは胸のうちで渦まくもやもやを忘れていられる。と、こう書いたら今まさに私が必死に忘れようとしていたもやもやが却ってはっきりとした縁どりを帯びてきて、この、閉じた瞼の裏に、どどーん!、と現れたものだから、もうこっちとしてはてんやわんやな訳で夜にはしゃぐ。

 

 2014年5月31日3:45

 図書館で幼い子供に母親と思しき方が絵本の読み聞かせをしていた。その声はとても優しくあたたかかった。思わずこちらが赤面しそうになる程だった。彼女が話を読み終えた時、私は心の中で拍手した。ありがとうございました。どういたしまして。微笑ましい親子の会話。私は透明人間になりたいと思った。

 

 2014年6月2日5:38

 この先もしも紙資源がなくなり全ての文字がデジタルに入力されるような未来がやってきたら「書く」という言葉の意味は衰退するだろうか。古文の授業で古語として紹介される「書く」、意味はイマでいう「打つ」ことよ。昔の人は何故そのような単語を使っていたのかしら。文字はハートに打つものなのに。

 

 2014年6月3日3:15

 乳白色の液体が注がれるさらさらとした音を耳にしながらわたしは私を知覚していた。いつの間にか。これがいわゆる自我の認識における起源か? ふとした時に問いかける。わたしは一体いつから私へ移行したのか? 何気なく親指を口に咥えていた朝、忘却の彼方よりぬくもりを希求する泣き声が反響した。

 

 2014年6月4日2:57

 近所の青果店のご老人が黒猫の毛繕いをしていた。猫はのんびりとした心地良さそうな表情を浮かべてゆっくりと尾を揺らしていた。白髪のご老人と互いに色彩を引き立て合っているかのようだった。ご老人が微笑を口に含んだ時、彼らを包み込むかのように後光が射した。ご老人の手は猫の背中に溶けていた。

 

 2014年6月4日4:38

 先に中島らもさんが「人間は一日のうちに一度、天使に出会うことができる。皆その事に気づかないだけ」と語っていたけれど、これは強ち嘘じゃないかもしれないと最近感じる。そしてたとえ天使が見えない日でも胸に手を翳し、らもさんの言葉を反芻すればいつの間にか自分が天使になった気になっちゃう。

 

 2014年6月5日6:16

 埋め立てられたこの街には海風こそ吹くものの潮騒は届かず海砂のきらきらとした微細な煌きすら流れてこない。と、てっきりそう感じていた私は盲ろうだった。赤レンガ模様に敷かれたアスファルトの隙間からは緑黄色の苔がそこら中に繁茂している。ふいに私は潮騒や海砂と、苔との紐帯を信じたくなった。

 

 2014年6月6日4:58

 ここに一から十までの集団があって単純に数の大きい方が良しとすれば、確かに十は凄く一は駄目に映るだろうが、中から一歩でも外に出たら辺りには百千万の輩がわんさかいて、そいつらから見れば一も十も同じようなものなのだから…。つまらん。こんなん書くために呟いてるわけじゃない。負けたくない。