140字のエチュード―VoL.4

 

 2014年4月25日17:32

 彼方よりあゝといふ感嘆の叫び声が聞こえる。まるで耳うちするかのように余りにも微か密やかな余韻を奥深くへ響かさせるそれはほんたうに人間の発したものかそれとも人になる以前の猿人もしくは原人によるものかいまを生きる私には分からない。星々の光はその声すらも追い抜き私を射抜いてさきに輝く。

 

 2014年4月27日3:40

 白鳥の番いが互いに向き合い接吻を交わしている。重ねられた口腔の隙間からさらりと流水が滴り円形に堰き止められた水面を静かに揺らす。周囲には幾つかのベンチが据え置かれその間にはパンジーの植わったプランターが鎮座している。余計な物など何一つない完璧な光景。あるとすれば私の言葉ぐらいか。

 

 2014年4月28日18:06

 冷たいベンチの上に落ち葉が一枚ちょこんとのっていたのを若い女性がその手ではらいのけてさっと座った。「はらいのけて」という仕草はこうして文字にすればいっちょまえに見えるものの実際の動作として映されればひどく味気ない。どうやらいつの間にかはらいのけられていたのは私の言葉だったようだ。

 

 2014年4月30日5:16

 ラヴェルは晩年、記憶障害となり自ら作った曲を耳にして「良いメロディですね。誰が作ったのですか?」と尋ねたらしい。最初にそれを聞いた時はなんて悲しい話だと感じたがこれは作品が作者の鎖から解放された一つの例ではないか。ラヴェルは本当の意味で優れた作品を見分ける審美眼を得たのだと思う。

 

 2014年5月1日5:27

 成人年齢を18歳に引き下げる目的の1つとして若者の選挙権を拡大させて投票率を上げることがあるのは分かるけれど国民の1/4が高齢者となった日本においてたかが2歳の差を埋めたところで若者の意見が通る訳もない。若者1人につき2票を与えるぐらいの無茶でもしない限り不可能ではないだろうか。

 

 2014年5月2日1:18

 霊のことを信じているかと咄嗟に誰かに聞かれれば恐らく私は信じていないと答えるが実際にいるのかいないのか未だ証明できない事柄についてあれこれ詮索するのは余り賢明ではないだろう。しかしこれ程までに世の中にこのテーマが存続する事実は何かしらの見えない価値が漂うことを示唆するに違いない。

 

 2014年5月3日3:58

 安倍政権憲法の解釈変更のみで集団的自衛権を容認できるようにしたいらしいが国民を含めた憲法改正論議はどこへ消えたのか。今のままだと改正の手続きが煩わしいから手っ取り早く解釈変更ですませようと捉えられても仕方ないだろう。そもそも私にはこれらに関する議論が雲を掴むようにしか映らない。

 

 2014年5月3日4:23

 ああやっぱりダメだ政治の話をするのは極力避けよう。だけどこの話題がなぜこんなにも気分を滅入らせるのかということを政権批判なんていう安直な理由じゃなくもっと深い所で探らなくちゃならないんだろうなと思う。兎に角、私は戦争には反対である、と吉本隆明さんが仰った言葉それだけに賛成である。

 

 2014年5月5日4:56

 シンメトリーに彩られた食卓。僕らは規則的にフォークとナイフを共鳴させる。弾力のある食物をゆっくりと咀嚼していく。誰かが何かを美味しいと言った。僕も無言で頷いた。そうするしかなかった。いつの間にか夕陽は沈んでいた。新緑の木々は黒ずみ蛍はそこへ止まった。虚光が真実と化した一瞬だった。

 

 2014年5月5日19:19

 木の葉の一枚いちまいが層となりそよ風に揺れている。車窓からだとそう優柔に映るが恐らく実際そこは荒れ狂う緑の海なのだといった方がこの光景の美しさを伝えるためには適するように思われる。私は掌を翳して指先で波上をなぞった。あっさりと山頂まで辿り着いた。こだまに嘲笑われたような気がした。

 

 2014年5月8日6:40

 幸福は不幸の始まり不幸は幸福の始まりというけれど私には今の自分が幸福なのか不幸なのかさっぱり分かりません。ただ目の前を訪れる日常へ接するうちにすり減っていく神経を何とかこの場で再びあの頃のように研ぎ澄ましたい取り戻したいと、本当にただそれだけを希求して私はここまで書いてきました。

 

 2014年5月10日6:49

 ドビュッシーの「月の光」とベートーベンの「月光」。原語でのタイトルがどうなっているのかは分からないが、日本語に和訳されるに際して曲のタイトルに「の」が付いてあるのとないのとで何故こんなにも違ったメロディになるのだろうかと不思議に思う。もちろんどちらも崇高で偉大な、悲しい曲である。

 

 2014年5月11日8:00

 目の前の現実が私の回想を邪魔してくる。以前はあれほど憎んでいたはずの深い傷痕が案外あっさりと珍妙なかさぶたへと変貌を遂げていたりして、そんな時にはいつも気恥ずかしさと切なさと悔しさとで胸が一杯になる。一種の阿保である。しかもその失態は誰にも気づかれることなく自己の内部で消滅する。

 

 2014年5月12日3:50

 ああ、こんなどしゃ降りの雨ひさしぶり。普段から真っ平らだと思っていたアスファルトが意外にもでこぼこしていたりして駅まで歩くのにも一苦労。無数の小さな水溜りを次々と飛び越える人々。色とりどりの傘がそわそわ揺れている。雨は地面を踏んで僕らを追い抜いていく。徐々に立ち上る涼しげな空気。

 

 2014年5月13日3:14

 僕の細胞はたんぽぽの綿毛のように風に吹かれて飛んでゆく。まってー。僕の細胞はにわか雨のように涙や汗や、時には鼻水にさえもなって大地へ流れ落ちてゆく。いやだなぁ。僕の細胞の一粒ひとつぶはすいかの種よりもひどく矮小で、僕の細胞の一滴いってきはせめて酸性雨よりは純水であったらいいなぁ。

 

 2014年5月14日14:56

 紙に文字を綴ることは今まで心の中に溜まっていたものを吐き出す行為の一種だと思っていたが、時おり言葉がこちら側へ逆流してくる作用があることに私は漸く、気づかされた。こうした文字は自らの内で編成された後に再び新たな話し或いは書き言葉となって大気を震わせる。誰かの心へ何かを刻むために。

 

 2014年5月17日4:56

  私は影だ。自由自在に姿形を変えることができる。闇夜においては世界の全てを覆い尽くすことも夢ではない。光の射すあらゆるところへ私は現れ気取った正義の対となる。悪役の汚名があって始めてお前は輝くことが許されるのだといくら訴えても私は足蹴にされるばかり。ほら、子猫もすやすや眠っている。