140字のエチュード―VoL.7

 

 2014年6月29日6:43

 ひさしぶりに棒ラーメンを食べた。おいしかった。葱とハムとわかめを入れた。わかめはいらんやろと思ってたけど意外に合った。あ、普通か。たまたま敬遠してただけかもしれない。わかめはみそ汁に入れるものだと決めつけていた。わかめの話がクドいな。もちろんスープは全部のみほした。また食べたい。

 

 2014年6月30日5:19

 なんとなく、だるだるだ。五月病が一ヶ月遅れて押し寄せてきたみたい。かと思えば、六月も今日でおしまい。マヌケ。ココロが身体に付いていけず。いつまでも桜の花びらが瞼の裏に貼りついたまま。哀しみは、ついついにやけてしまう道化者だ。個人の幸福は、孤独と引き換えに得られる慕情かもしれない。

 

 2014年7月1日6:50

 閣議決定集団的自衛権の行使が容認されたそう。戦争反対の立場としてこれは由々しき事態、なはずだけど、いまいち実感をもてないこの身に疑問を感じる。淡々と進む日常に靄をかけられた心は鈍くなった代わりに平穏を手にした。しかし、その平穏も最早どこまで保たれるか。哀しい。嫌だ。だから何だ!

 

 2014年7月3日6:10

 3年前の真夜中、震災直後に感じた思いを古いノートに書き殴った。内容は殆ど支離滅裂。翌朝になって読み返しても果たして自分が何を遺したかったのか得心できずに思わず独り空虚な笑みを漏らした。不謹慎。まさに我が身のことだとあっさり流された当時。そして今も。豪雨のデジャヴに言葉の傘を差す。

 

 2014年7月4日6:34

 何処かで誰かが僕の噂話をしている。風の知らせに戸惑い自意識過剰に陥っていたあの頃。使い物にならない方位磁石は叶わない方が幸せな夢もあることを教えてくれた。そう必死に自分を誤魔化してきたつもりだったけれど青い果実が未熟である事実に変わりはなかった。絵画の静物は霧雨を浴び溶けてゆく。

 

 2014年7月5日21:18

 バイキンマンが好きだった。幼心なりにどうしていつも最後にバイキンマンがやられてしまうのか不思議に思っていた。好きな理由はブドウに似ているから。じゃあなぜブドウが好きだったのか。まるくて紫色で、と理由を探すもしっくりこないが、息を吸い込んだ僕の肺胞はブドウのように膨らんでいるはず。

 

 2014年7月6日8:06

 ウィンブルドンの決勝戦。フェデラージョコビッチもお互いに素晴らしいパフォーマンスを魅せている。素人目線だが、彼らのプレーはもはや試合というより二人で創り上げていく一瞬毎の芸術作品と称する方が適するように思えた。それにしてもこれだけ永くトップに居続けられるフェデラーを神かと疑う。

 

 2014年7月8日4:28

 さっき私の巡らせていた、思いはついに一つの詩として結晶せずに、私の内で消えてしまった。それは確かに私にとって、とても大切だったもののはずなのに、いつしか途切れた言葉の流れは私に晩ご飯を食べさせた。みりん焼きされたつぼ鯛の身が軟らかく口中にとろけた。詩を食べた錯覚に陥りそうだった。

 

 2014年7月9日4:02

 電車内には雨の臭いが漂っていた。台風の訪れを知らせる車掌の声はいつもと違ってどこかくぐもっているようだった。いつもの声を知らないくせにそう感じてしまった訳を探っている内に、うとうと。辺りにはスーツや制服がまばらに散りばめられている。これら些細な印象を各々が勝手に持ち合わせる日々。

 

 2014年7月10日21:58

 一日一詩、何かしらの言葉を紡ぎたいと思ってきたが、最近は殆ど何も思いつかず。仕方がないのでやけになって書けないことを書こうとしたら、僕は何だか急に自分を文字に変換して余白を埋め尽くしてやりたい衝動に駆られた。咄嗟に死の命という言葉が浮かんだけれど、恥ずかしいので告げるのは止そう。

 

 2014年7月13日4:15

 夕陽に染まった白い鷗は橙色を滲ませて水平線の彼方へ消えていった。この光景が現実に眺められたものとして扱われることを祈る。この文字も明らかに視覚的には黒く映るが、呟きの流れに沿うにつれて橙的に飛び去ってくれないだろうか。私はただ偽物が本物と重なり合う瞬間を描きたいだけかもしれない。

 

 2014年7月14日3:53

 月明かりの下で黄金の雨が降り注ぐ。人々は皆、傘を捨て去り両掌を合わせて身体中に光雨を染み込ませた。次の瞬間、全ての人の顔が満月のように、ではなく満月そのものっぺらぼうへと変わっていた。よく見回せばお餅や臼もちらほらある。ハッとした私が自らの頭を撫でると案の定、兎の耳が生えていた。

 

 2014年7月15日3:49

 我思う故に我ありとデカルトは唱えたが、これは思っている今若しくは思った過去の我を憶えており尚且つ現在も生きているからこそ言える言葉か。といっても本人が忘れようが死のうが我の存在がなくなる訳ではない証に私は今、彼の遺した我に心触れている。この先も面影となり漂う彼。我思う故に君あり。

 

 2014年7月16日3:07

 最近の私の綴る言葉には靄がかかっているような気がする。ヴェールに隠されたとも膜に包まれたとも言い換えられる。表現欲に従うからこそ呟く一方で誰にも伝わって欲しくない唯一無二の思いがまだ私の心の中に残っていることを確かめるために敢えてこうして日夜呟きを繰り返してしまうのかもしれない。

 

 2014年7月17日5:26

 蝉の鳴き声がちらほら聞こえるようになった。蝉の鳴き始めの声は、扇風機の回る音とシャワーの噴き出す音に似ている。もっと言えば二つが絶妙に混ざり合った音に瓜二つだ。なので私は外で街をぶらぶらしている時でもいつだって自宅で涼んでいるかのように振る舞うことが、できない。やっぱり夏は暑い。

 

 2014年7月18日4:07

 オスカー・ワイルドの童話集を読むと疲れた心が癒される。断片的にしか言葉が入ってこないボーッとした頭の状態でも、何気なくページをめくっている内にいつの間にかその世界観に魅かれてしまう。個語的には、哀しみが笑ったり、微笑みが涙したりすることもあるのだということに感情の奥行きを感じた。

 

 2014年7月19日7:17

 どんな人でも居なくなった後になって初めてその人の大切さを理解できるというのは本当なんだろうと思う。特に、この人さえ居なけりゃいいのに、とか、なんでこの人ここに居るんだろう、と不快に感じてしまう相手ほど、そうかも。結局、その人がその場にいる本当のXXXなんてパッと見じゃ分からない。