小説「ふとんの惑星」

 

  ここはふとんの惑星。ふとんの敷き詰められていないところはどこにもない。一見、山のように見えるところには深緑色のふとんが、海とも湖ともとれるような場所にはグラデーション状となった青色のものが折り重ねられている。そこで人々は特別に何かをするという訳でもない。ただ心地良さそうな表情をしてゆったりと寝そべっているのだ。

 (ああ、なんて幸せなんだろう。なんて気持ちいいんだろう。こんな快適な暮らし、二度と手離してたまるものか。どんなことを犠牲にしてもこのふとんだけは守ってみせる)

  一度そのふとんの中に入った者は必ずこのような思考に溺れてしまい、その後は決してそこから出てこようとしなくなる。ある意味、魔的な誘惑の匂いを漂わせるこのふとんは何の前触れもなく突如、歩道の上に出現した。果たしてこのふとんが最初のものかどうか今となってはもう確かめようもない話だが。

  ある日の昼下がりにふとんを偶然目にした人はふと思った。ホームレスの使うふとんにしては真新しすぎる。少しも汚れていないどころか綺麗すぎるといっても言い過ぎではない。とは言え、こんな道のど真ん中に白昼堂々ふとんなんか置きっぱなしにしている人間の気がしれない。ここは一つ、私が端にでも寄せておくとしよう。それにしてもこのふとん、何とも良い触り心地だ。優しくて柔らかくて包み込むような温かさを感じる。これ程、性能の高いふとんなら家に持ち帰ってみてもいいかもしれない。そうだ、試しに少し寝てみよう。不思議と他人の視線も気にならない。それに気のせいかこのふとんもそれを望んでいるような感じがする。

  最初にふとんを見つけた人間の心情を推察するとおよそこんなところだろうか。もちろん当時の政府はこのふとん問題を解決しようと躍起になった。警察に対して、一刻も早くふとんから顔を覗かせた人々を説得し、救出するよう要請したが徒労に終わった。それどころか必死に説得を試みていた警察官もしだいに彼らの何とも言えないスローペースな反応に耳を傾けているうちにいつの間にか自分の方もうとうととなっていき、辺りに敷かれてある空室のふとんの中に入ってしまうのだ。またやっとのことで力づくでふとんをひき剥がした者もいたがそれで身体が疲労困憊となったのか何故か今度は自らふとんを被りすやすやと眠ってしまう。ふとんを奪われた者がこれに憤り再びふとんを取り戻そうとするかというとそんな必要もなく、さっさと隣のふとんに潜り込むだけ。

  このままでは被害者が余計に増えるだけだ。ふとんに入った人々もろとも隔離した方が賢明なのではないか。とは言え、どこに? 原因不明のふとん増殖の勢いは失せるどころかひたすら拡大していった。それならどうする。燃やしてみるか? 馬鹿なことを言うな。人命はどうするんだ! でもやつらの眠りに堕ちている顔を見てみろよ。どう見ても幸せそうだぜ。

  何とか現状を打破しようとさまざまな議論が交わされたが、残念なことにこのふとんは雨にも負けず風にも負けずおまけに地震津波にも負けない優れものだったので彼らの抵抗も虚しく全てがふとんに呑み込まれていった。

  現場での解決は困難極まる一方。ここは国家元首たる首相にビシッと説き伏せてもらう以外に国家を救う方法はないとのことで緊急に催された首相の記者会見にも効果はなかった。いいや、むしろこの会見がきっかけでこの国は立派なふとん国家へと変貌を遂げたのである。首相はふとんの中から「ふとんから出なさい!」と命令し、記者は「国家の怠慢は首相の責任ではないのか」とふとんの中から糾弾した。

  そんなふとん国家のありさまを他国が見て侵略の絶好な機会だと捉えても無理はない。しかしその策略は彼らの就寝時間を僅かばかり早めただけだった。どんな極悪人でもふとんの中に入れば最後、自国と他国の区別すら見分けが付かなくなっていた。極悪人が赤ん坊のようにすやすやと眠る姿を見ていい気味だと思った人も、もう夢の中。ふとんの国がふとんの世界、さらにふとんの惑星へと拡大するまでにそれ程時間はかからなかった。そして今、惑星は静かに寝静まっている。

  ここまでお読み下さった方々は当然もうお気づきだろうがもちろんふとんはこの惑星内で生産された製品ではない。異星人がいかに穏便にこの惑星を支配するにはどうすればいいかということを熟慮した上で開発された代物だ。しかしその後、彼らがちゃんと惑星を征服できたのかどうかは不明である。もしもこの先の惑星がどうなったか気になる方がいらっしゃるようであるならば、ぜひご自分の目で確かめに行ってみてはいかがだろうか。ただし万が一ふとんから出られないようなことになっても筆者が責任を取ることは決してないことを先に申し上げておこうと思う。なぜなら私の身体も既に白く渇いてふとんの中に埋まっているのだから。