140字のエチュード―VoL.11

 

 2014年10月14日5:15

 海砂はさらさらとした柔らかい掌で私達の靴底を撫でる様に呑み込んだ。たとえ光が弱くとも重なり合った心身を覆う影は限りなく薄い。それだけで救われた面持ちになれればいいのにと何度願ったことか。それでも瞳は太陽を仰ぎ見ていた。知らぬ間に潮騒が伽藍堂の足跡に反響している。清い貝殻を傍目に。

 

 2014年10月16日6:33

 夜になるとリンドウがあなたを出迎えてくれる。誰にも言えない悲しみに寄り添ってくれるのだ。だから勇気を出して外してみよう。その薄っぺらな微笑みの仮面を。月明かりに涙が光れば最高だ。こんなにロマンチックなことはない。逝きたい、ああもう僕は直ぐにでも飛び去ってしまいたい。この葦の外へ。

 

 2014年10月17日4:04

 嵐が去って僕らは急に何もすることがなくなった。ら、は僕から離れていってメロディの一部になった。すれ違った少女の歌う流行歌を聴いてつい微笑んでしまう不良はアイデンティティ崩壊の危機を恐れると同時に何処かでそうなることを望んでもいた。誰かに見透かされた瞬間!彼は階段から飛び降りた。

 

 2014年10月18日7:46

 さっき私の目の前にあったはずのダイヤモンドはさらさらと分解してしまった。たった一度の瞬きをした隙に消滅してしまっていた。誰にも触れられることなしに。そしてダイヤの無くなった今、私にはもう失うものすら無くなった。その光を追い求めて生きてきた鮮紅色の砂時計はいつしか堆く決壊していた。

 

 2014年10月19日1:10

 暗闇の中、振り向けばそこにあなたはいた。確かにいたと誰かに訴えても決して信じて貰えない程、微かな間。黒い海に溺れてしまうあなたの無事を祈ったことは酷く烏滸がましい行為だったのかもしれない。しかし私には結局そうすることしかできなかった。別に陶酔している訳ではない。むしろ白けている。

 

 2014年10月20日6:58

 僕らの身体は外側から剥がれる様に死んでいく。そして見えない脱皮は新しい生を齎す。どうやら僕らは自分の意思とは無関係に生まれ変わってしまうらしい。あの日の過ちも君に抱いた憎しみも、いつの間にか死んでしまった模様だ。いや、抑々それらの感情が生きていたという証明すら僕にはもうできない。

 

 2014年10月21日14:40

 白杖を手にした彼女の手も華奢な腕も絹の糸の様に透き通っていた。その瞳は陽光の射す中でも明るく輝いており、私は太陽が二つあると思い違う程だった。彼女の眼は本当に光を失ってしまったのだろうか。痛みを恐れる余りに疑惑を抱いてしまう私の心は影と共に長く伸び、その上を彼女の足は踏み締める。

 

 2014年10月22日4:30

 黄色いマグカップに描かれたりらっくまは目玉焼きを食べている。あむー、と言いながら目を細めて口をもぐもぐさせている。隣にはニワトリの着ぐるみを被ったひよこが、ぴよぴよしている。もう1ぴきのくまについてはここでは触れないことにする。3びきの中で一番大好きだとたった今、気づいたからだ。

 

 2014年11月3日5:19

 新しい靴を買った。旅に出よう。宇宙までは行けないか。帰れなくなっちゃう。海はもう寒そうだしなぁ。嵐も来そうな予感するし。シクラメンはまだ咲かない。偽ることがそんなに悪いの?中々分かって貰えるまでに時間がかかりそうだ。大好きなのに。日曜の夜に電話するね。寝静まった世界を掴みたくて。

 

 2014年11月10日5:05

 てんとう虫は何処に行った?夏の陽射しは幻のよう。美しい風景は儚い。命のリズムは静寂に奏でられる。流浪の旅人は帰りたくないと電話越しに言った。戦いはまだ終わっていない、と。鳥の群れが港で羽を休める中、あなたには寒空を飛んでいてほしい。いつの間にか押し付けられた願いは星と共に沈んだ。

 

 2014年11月16日3:15

 ダーツは的に投げられた。ただいま、と言わんばかりにダーツは的へと吸い寄せられていくのが理想なのだが。がっかりした僕は、お酒は飲めないので代わりにブラックコーヒーを飲んだ。だから何だと君は言うかもしれないが、僕にとってそれは重要なことだった、ということにしたかった。退屈が懐かしい。

 

 2014年11月21日6:48

 「おとうさん、ぶどうあいすはたべないでね」幼児期に書き残していた殆どラクガキ同然の手紙が我が家には今でもある。それを見る度に私は父に葡萄アイスを食べられたことを思い出すのだ。今となってはもう葡萄アイスを食べる機会なんて滅多にないし、別に欲しいとも思わない。紫色が好きだったのかな。

 

 2014年11月24日5:52

 黄色い落ち葉を踏めばポテトチップスを食べる時みたいなサクサクした音がそこら中に舞い散った。虫に食われた枯れ葉の心は出来損ないのドーナツのよう。冬の桜の樹の下でお菓子は見えないダンスを踊っている。気づかれないで済むならば、その方がいいと笑って。風が吹いた。誰かがこちらを振り向いた。

 

 2014年11月27日7:02

 静かなる暴発は、言葉の城の内壁を崩しただけなので、彼彼女らの口にする「愛している」はより真実味を帯びて伝わるのだった。美しい外壁を艶やかに着こなし残したままに。しかし、冬の風は「それでいい」と煽るように吹き荒ぶ。星は寒さを凌いで皆の願いをせっせと叶えている。月は暫く見て見ぬ振り。

 

 2014年11月29日1:52

 さささいな出来事で自分を保てなくなる。きっとあの人を心の中に取り込んでしまったからだろう。眩し過ぎる冬の日差しを浴びると、全てを見透かされてしまいそうな余りに憎んでしまう。たとえその光路が私をしああわせに導くものだとしても。辿らないでいるうちに、また夜が訪れては星が泣く。愛して!

 

 2014年11月30日4:16

 今まで生きてきた足跡を必死になって残してきたはずなのに、振り返るとそこには何も見当たらなかった。海風が砂地を均したのか、それとも始めから浜辺など歩いていなかったのか。跪いた傍をやどかりは通らなかった。置き去りにされた貝殻のみがそこにはあった。溶けかけたそれは虚無に夢を埋めていた。

 

 2014年12月11日5:15

 ピアノの音色だけが現実を置き去りにしてくれる。本当に。もう何もしたくない。そう誰かが弱音を吐いたことにした。強がらなくてもいいんだよ。拠り所のない光に追いつこう追い抜こうと流れ続けるメロディは、気づけば周りに誰もいない譜面の向こうまで届いてしまった。隠したかった本音が踊っている。

 

 2014年12月12日3:55

 こんな夢を見た。朝、起きてシャワーを浴び、ご飯を食べて外へ。いつもの道を駅まで歩き、定時の電車に揺られながら気がつけば、うとうと。そこで授業中に居眠りする夢へ入り、さらにその中では毛布に包まり仔犬と戯れていた所へ他人とは思えない他人からのメールが。中身は空だった。青い鳥が瞬いた。