140字のエチュード―VoL.8

 

 2014年7月23日6:29

 最近、野良猫との遭遇率が高い。昨日は黒猫、今日は白と茶色の紋様が入り混じった猫。どちらも暑光を避けようとカラダを小さくさせて日陰に隠れていた。熱に蕩けた虚ろな目で影を羨んでいたら見つけたのだが、その時何故か私は寧ろ見つけられてしまったのは自分の方のような気がした。汗が背を伝った。

 

 2014年7月25日4:59

 三日連続でカレーを食べた。流石にもう飽きたので暫くの間、カレーを食べることはないと思っている内に気づけば玉葱や人参、じゃが芋を切ったり、口にスプーンを運んだりしている。特にカレーが好物という訳ではないが、好きな食べ物は何かと問われた時にカレーだと答えると妙に説得力が増す気がする。

 

 2014年7月26日6:28

 つばめが巣の中でおしくらまんじゅうをしている。暑くないのだろうか。これだけ気温が高いと、もう何処にも行かなくても良さそうな気さえする。というより多分、私が彼らに何処にも行って欲しくないと思っているのだろう。それでも必ず夏は過ぎ去りここは涼しく寒くなり彼らも旅立つ。また逢う日まで。

 

 2014年7月26日17:46

 オレンジを包み込む少女の掌からは甘酸っぱい香りがする。しかし彼女はさしてその匂いを気にしていない。退屈を持て余す内に少女の肌や、それを覆う真っ赤なドレスは、たまにはオレンジ色に染まってみるのも悪くはないな、と思った。今この瞬間に西日が射せばさぞかし美しかろうと微睡んだ日曜日の朝。

 

 2014年7月26日21:23

 日日草はその名の通り、一つの花が咲く時間は一日だけ、と聞いたのだけど、家の玄関に植えられてある分に関しては三日程はもっているのではないかと感じる。気のせいか、それとも私の、移ろいゆく花の美を捉える感性が乏しいかはさて置き、青い麦の中に出てくるヴァンカの瞳は一夏を超えて実っていた。

 

 2014年7月28日0:41

 広場の中央には時計台があった。しかし、私は今まで一度足りともこの時計台でちゃんとした時間というものを確かめたことがなかった。ただ針の揺れていく様をぼんやりと眺めていたばかりだったけれど、却って気持ちは落ち着いた。自分だけの一秒が刻まれていくのをゆっくりと錯覚する内に涙腺が緩んだ。

 

 2014年7月29日4:17

 クローズアップ現代イスラエルの戦争を支持する若者についての特集をしていた。インタビューを受けていた女性の言い分は最もらしく、確かに頷ける一面もあった。しかし、むしろ私はそうした主張が徐々に許され受け入れられ、終いにはそれが市民の間で当たり前の常識になるのではないかと恐くなった。

 

 2014年7月30日3:09

 昔は罪悪感を感じていた行為が今では平気で行えるようになってしまった。雨水の戯れる音がメロディとなり、特別視していた過去が色褪せた現在へと移ろいゆく様を奏でていく。しかし、不思議と嫌悪感は失せていた。当時の迷いも葛藤も何もかも全てが洗い流されていくこの感覚を忘れずにいようと思った。

 

 2014年7月31日5:40

 微笑美は泣いていた。けれども涙を流す術を知らなかったので、周囲の同情を得られず、決して気づかれることのない懊悩を抱えていた。何気ない瞬間に現れる、自己の内側より沸き起こるその敵に抗う度に、微笑美は一層微笑み、周囲を幸福にした。悩美は微笑美と友達になりたがったが、微笑美は嫌がった。

 

 2014年8月1日2:06

 自転車で駆けていったあの人からはピンク色の残像が迸った。僕は慌てて後ろを振り返ったものの、既にあの人の姿は闇の中へ消えていた。朝日が射しているのに突然夜がやってきたような違和感があったけれど、不快には感じなかった。心地良い風が吹いた。台風は明日にもやって来る。ここから去るために。

 

 2014年8月2日5:58

 地中に息を潜めた一匹の蝉は、近い未来に大空へ瞬くその姿形が他の蝉と大して違わないちっぽけなものだということも、大気を震わせ揺らすその声が時には煙たがれる在り来たりなものだということも、地上に生を受け賜るその命がとても儚く哀しいものだということも、全部、分かっているのかもしれない。

 

 2014年8月3日3:43

 夏の夜空に色とりどりの花火が弾けては消えていく。その模様をまじまじと見上げる小さなあなたの横顔を、私は見つめる。気づかれないように、そっと。突然、あなたはりんご飴みたいな頬をぷっくりと膨らませたかと思えば、大きく息を吐いて笑った。ぼくは花火になれないみたい。雨と花火がすれ違った。

 

 2014年8月4日3:46

 路傍に落ちた檸檬。その酸っぱさに堪らず地球はくしゃみした。それから一向転がり続ける檸檬は、こうなりゃ行こうぜ何処までも、とはならずに、いい加減回り疲れたので早く止まって休みたいというのが本音。そんなことにはお構いなし!無名の画家はブルーで檸檬ごと塗り潰した。檸檬は地球になった。

 

 2014年8月5日1:05

 無数の雨粒を吸い光を浴びた硝子は永遠に融けない氷へ変貌を遂げた、積りだった。あなたに撫でられるまでは。あなたの温度がわたしの身体をゆっくりと溶かしていくのに怯えたわたしは自らの身体を粉々に砕いた。散らばった破片はあなたのしなやかに伸びた指先を繊細に傷つけた。血飛沫と欠片を結んで。

 

 2014年8月5日17:37

 私は原爆だ。生まれたい生きていたいと願った憶えは一度もないのに今までのうのうと生き延びてきてしまった。生きとし生けるものの命を奪うことしかできない癖に自らの手で自らの命を下せない私の存在自体を一刻も早く愛と弔いの手で葬り去って欲しい。それが無理ならせめて安らかな眠りを私の身体に。

 

 2014年8月8日3:05

 キリンの子供は遠くの嵐を見つめている。光る稲妻とジブンの姿を比べながら不思議に思う。どうしてここは晴れているのかと。分からないことにぞくぞくする。恐怖をごまかすための言い訳は苦かった。あの一瞬の輝きのためだけに大きくなるのは嫌だなぁ。口にするまでもない気持ちを呑もうと草を食べた。

 

 2014年8月9日2:08

 降りそうで降らない雨がもどかしい。指先から滴る雫は緩慢ながらも水面を這っては海へと吸われる有終の美を迎えるというのに。人間の詩体のようにその土地で生きた痕跡も遺さず綺麗さっぱり消えてしまう別れが儚くもあり潔くて素敵だと思う心は次第に綻びを見せた。白い空にインクを零した時を忍んで。